旧清瀬病院跡(現・看護大学校)
7月2日
抗生物質が見つかって治療ができるようになるまでは、コロナとは比べ物にならないほどの感染力と死亡率で恐れられた「結核」の療養所。ここに入院ったら帰ってこれないと言われてたらしい。
清瀬が病院の町になるきっかけとなった病院。
機能が国立療養所東京病院に移っても、雑木林の中の木造建築が残っていました。
一部はリハビリテーション学院(廃止)の教室として使われてました。
隣接する中央公園のローラースケート場の場所に霊安室があったなど、都市伝説をはじめ「病院廃墟」のすべてが揃っていたので、今残ってればマニアの聖地になってたかも。
ちなみに「昔の病気」のイメージがある「結核」で、今でも年間千人も亡くなってるがまったくしられてない。